見つけた宝物と、見つけた思い。

性的表現を含みます。嫌悪感を示す方は注意してください。






 自分の中にある宝とは、写真を撮る行為そのものである。蔦子はそん
なふうに考えていた。そして、撮るという行為はファインダーを通して
相手の心を見ることなのだと意識していた。そんな蔦子であったから、
心のどこかで、いつかきっとそれとは違う宝が現れるだろうと思ってい
た。
 なぜなら、人の心を見続けるということは、そういうことなのだと知
っているからだ。
 
 「志摩子さんだ…」

 その時、蔦子は中庭を横切る志摩子を見かけた。瞬時に首から下げら
れたカメラに手がいく。それは、ほぼ無意識的な行動といってもいいく
らいの反応であった。流れるような動作でレンズカバーを外すと、その
ままファインダーに目を落とす。真昼の視界は暗転し、景色は枠の中に
存在する一枚の絵画と変貌した。その停止した世界で唯一動く存在とな
った志摩子は、いつものように顎を引き、背筋をピンと伸ばした姿でゆ
っくりと歩を進めている。
 「やっぱり、志摩子さんは美しい」蔦子は、そう言いながら一枚、ま
た一枚とシャッターを切っていく。この距離であれば、向こうはこちら
に気付いてはいないだろう。自分の求める心の内面まで写し取る写真
は、こういった瞬間にこそ現れるのだ。蔦子は、嬉々としてシャッター
を切り続けた。
 題名は「マリア様のお庭を歩く天使」だろうか。それとも「白薔薇、
一時の休息」にしようか…。そんなことを考えていると、蔦子の中に微
妙な違和感が浮かびあがった。ただ、それは格言やことわざを思い出せ
ないという位の些細なもののようで、蔦子も気にせずそのままファイン
ダーを覗いたまま志摩子を追いかけ続ける。

 しかし。

 「……」

 もう一度。微妙な違和感。
 ようやく蔦子はファインダーから目を起こすと、肉眼で景色を確認し
た。黒い枠は取り払われ、太陽の光が目を覆う。視界が回復してくる
と、既に志摩子は随分と遠ざかってしまっていた。聞こえてくるのは、
風が戯れに揺らす枝の音だけである。葉が揺られる感触が、今ここにい
るのは自分だけだと語っているようにも感じる。

 「今のは、一体?」

 幕が切り替わるというのだろうか。舞台が一瞬にして山から海へと飛
んでしまったような感覚。蔦子は、まるでそれまで見ていた景色の中
に、ふいに何か別の光景が紛れ込んだような意識の跳躍を感じたのだ。
言ってみれば、絵の中に別の絵が書かれているような…。
 あれは、何だっただろうか? 確かに見覚えのある光景。自分は、き
っとそれを知っているはずだ。そう言い聞かせながら、蔦子はその場を
走って後にすると、そのまま部室まで戻り、何かに突き動かされるよう
に現像を始めた。

 どうしてだろうか、手が震えている…。

 いつもは気持ちを落ち着かせてくれすはずの暗室の静寂さも、今日は
全く役に立たない。それでも蔦子はなんとか作業を進めていった。
 赤い視界の中で、印画紙に絵が浮かび上がってくる。そこに捉えられ
ていたのは、確かに白薔薇こと藤堂志摩子に間違いなかった。真ん中に
被写体である志摩子。バックには銀杏の木と、それに見え隠れする校
舎。そして、遠くに散在する他の生徒。見たところ、おかしいと感じる
部分は見当たらない。

 「あの感覚は、いったい?」

 湧き上がった疑問に対する答えをみつけられぬまま、蔦子はそのまま
現像した写真を乾かす為に吊るしていった。





 ※※※




 疑問は、家に帰っても拭えなかった。考えれば、考えるほどに違和感
が浮かび上がる。あまつさえ、小さく些細だったはずの疑問が、今では
大きく肥大化すらしていた。蔦子は、そこに何か自身にも関わる重大な
ものがあるとさえ考え始めていたのだ。

 「別にどうってことのない風景に感じる違和感…。志摩子さんにおか
しなところは全くない。別に、何か変な影が映っているわけでもない。
後ろにいる一年生にも別段異常はない…」

 長い嘆息の後、背もたれに体重をかけ視線を写真から天井に変えた。
プリントされている壁紙の幾何学模様が、思考の迷路を表現しているよ
うに見えてくる。整然とした模様は、規則正しく並んでいておかしな部
分は勿論存在しようはずもなかった。

 「異常はない、か…」

 異常がない。
 異常がない。
 微塵も異常がない…。

 その時、蔦子は何かが繋がったような気がした。
 おかしい部分がない。では、考え方を変えてみてはどうだろうか? そ
もそも、異常な箇所は存在しないのだとしたら。
 違和感が異常に対したものではなく、別の何かに反応したのだとした
ら。
 例えば、聞こえてきた音。
 微かに聞こえてきたブラスバンドの演奏の曲。楽器の音…。

 例えば、服装。
 以前どこかで見た。微妙に襟部分が異なった中等部の制服…。

 以前…。
 昔に見た…。
 記憶の中にある部分との適合…。

 既視感? 記憶の錯覚? デジャヴ?

 蔦子の中にある単語と映像が、そこでショートフィルムの終了を告げ
るように空回りした。

 錯覚などではない。
 しかし、以前間違いなく触れている。

 「そうか…。以前に見たものと重なったから。見たことのある光景だ
から。それを思い出したのか…」

 言いながら椅子から飛び上がると、そのまま背後にある棚の前に立っ
た。そこには大量のスクラップブックが綺麗に並んでいた。その中から
躊躇もなく一冊抜き取ると、ページをめくっていく。
 そこに何があるのかわかっていなかったが、蔦子は答えがそこにある
のだと半ば確信していた。
 記憶の断片を繋ぐようにして根気強くページをめくると、まるでビデ
オを再生していくようにシーンが流れていく。そして、その中の一つの
場面が、ようやく再生を停止させた。

 「これね…」

 一枚の写真を抜き取る。それは、校舎裏で焼き付けられたスナップだ
った。
 今日撮影した写真の隣に並べると、そこには確かに同一人物が写って
いた。志摩子の後ろにいる生徒と、校舎裏でチョコレートを食べる生
徒。時間を越えるようにして全てが繋がったのだ。
 どうして忘れていたのだろうか。時間があると思っていたから? 会
えた時に渡せばいいと思ったから? それにしても、写真の存在自体を
全く失念していたことに、自身が驚く。
 蔦子は、半ば盗撮のように撮影している手前、その管理は徹底してい
る。だから、今までそんなことはなかったのだ。

 しかし、考えてみれば。
 写真の存在は忘却してしまっていたが、名前すらはっきりしない「彼
女という存在」は確かに心の中にいたのかもしれない。それも、一日と
して考えない日が無い程に。
 きっと、彼女という人間が大きくなりすぎた為に写真という部分が抜
け落ち、存在自体が一人歩きしてしまっていたのだろう。そのうちに記
憶の底に紛れてしまったのだ。

 「そうか。彼女だったのか…」

 今や蔦子は、はっきりと思い出していた。

 バレンタインの日。
 楽しいイベントだと自分に言い聞かせ。無理に楽しもうとしていた彼
女は、制服を着てはいたが、確かに幼かった。
 少しの間一緒に校内を歩き回って、いろいろ話しをしたが、内容は殆
ど憶えていない。それでもこれだけは忘れていない。彼女が、写真に映
ることが嫌いだと言っていたことを。
 撮られる立場になりたいのに自信がないという気持ちは、突き詰めれ
ば、存在しない自我を見透かされてしまうからだろう。中身の無いポー
ズは、どこにも拠り所がない自分そのものなのだから。
 何の目標も持てず、他人の意見に右往左往し、ありえない充実感の中
で、自分の宝を探す。きっと彼女は、そんな生活に疑問を抱いたからこ
そ写真が嫌いだと言ったのだ。そんな自分を撮られたくないと思って。
 それでも、彼女は、自分にだったら撮られてもいいと言ってくれた。
それを宝にするとまで言ってくれたのだ。
 もう一度写真に目を落とす。そこに写っている彼女は、確かに宝物の
ように輝いて見えた。

 「それにしても、今になって思い出すなんて…」

 結局。イベントの時に一度しか会ってはいない。
 何かに感じた違和感は、忘れてしまった初恋の相手を思い出したよう
な複雑な感覚に変化していた。
 そして、蔦子は「渡す時」がきたのだろう。漠然と感じた。





 ※※※





 次の日。新聞部の一年生に写真を見せると、すぐに名前は判明した。
彼女の名前は、内藤笙子。卒業していった内藤克美の実の妹である。わ
かってしまえば簡単なもので、何故優等生である内藤克美と一緒にチョ
コレートを食べているのか理解できた。
 写真を撮った時。彼女はまだ中学生だったのだ。あれ以来一度も会う
ことがなかったのも当然である。

 放課後。蔦子は、写真を封筒に入れリボンをかけると笙子の元へと向
かった。
 教室まで行ってみたが笙子はすでに下校しているらしく、その姿はす
でに無かった。
 蔦子は、がっくりと肩を落とした。正体が判明し、いつでも渡せると
いうのにである。どうしてか、今は渡せる時に渡せばいいとは思えない
のだ。それどころか、一刻も早く渡したい。彼女に見てもらいたい。と
いう思いさえ蔦子を包んでいる。
 明日は、朝に教室まで行こう。そう決意を固めた蔦子は部室へと向か
った。
 しかし、その道すがら。再開は突然のようにして訪れた。蔦子が銀杏
並木まで来ると、ずっと待ち続けていたかのように。舞台を整えていた
かのように。彼女が一人で立っていたのだ。最後に会ったあの時から、
ずっとずっとそうしていたかのように…。

 「久しぶりね」

 蔦子は、ゆっくりと確認するように声をかけた。なぜだろうか、焦る
と彼女がそのまま煙のように消えてしまうようにすら感じているのだ。

 「お久しぶりですね」

 一方、笙子は蔦子を見てもさして驚いたふうもなく、毎日顔をあわせ
ている友人のように声を上げる。

 「わからなかったはずね。あの時点で、あなたもまだ中学生だったな
んて…」

 「ええ。バレンタインの宝探しに参加したくて。姉の制服を拝借した
んです」

 「はい、これ。あの時に約束した物よ。宝にするっていっていたでし
ょう?」

 蔦子は綺麗に包装された封筒を差し出した。

 「ありがとうございます。本当はすぐに会いたかったけれど。ずっと
待っていたのですよ」

 笙子は、封筒を受け取ったが、どうしてかそれを開けることなくポケ
ットへ入れた。

 「そうだったの…。でも、何故あなたのほうから私のところへ来てく
れなかったの?」

 怪訝な表情をみせながらも、蔦子は会話を続ける。

 「どうしてでしょうか…。再開もドラマチックなほうがいいなと思っ
ていたからかな…」

 笙子は言いながら柔らかく笑ってみせる。それは、自然な笑顔だっ
た。
 「じゃあ、これはドラマチック?」

 「う~ん。あまり感動的ではないかもしれないですね。でも…」

 「でも?」

 「宝物が手に入ったから。よしとします」

 「そう、よかったわ。その写真、自信作だから…」

 「私の宝物は、写真ではなくて…」

 笙子の言葉はそこで止まってしまったが、彼女の表情が続くべき言葉
を紡いでいく。にわかに吹き荒ぶ風もそれを後押ししているようだ。

 彼女は見つけていたのだろう。
 停滞していない自分を。
 偽装ではない自分を。
 だから、こうして会うことが出来た。

 そして、それは自分にとっても…。

 心を見ようとして撮るのではなく。
 自ら見せてくれている。
 自分に全てを開いてくれている

 信頼や、依存という行為ではなく。
 そうしてくれている。

 「……」

 蔦子は言葉を被せることなく沈黙によって答えた。一歩。さらにもう
半歩近づくと、左手を伸ばして笙子の髪を撫でる。指に巻きつくような
柔らかな感触が心地よい。
 僅かに震えるような仕草が、また手の動きを大胆にさせていく。

 「蔦子さま…」

 蔦子は言葉を遮るように右手で笙子を抱き寄せると、ゆっくりと唇を
重ねた。
 そのまま背中に腕を絡めていくと、笙子は瞬く間に熱を持っていく。
触れ合う体がお互いを触発するように熱を増幅させていくようだった。

 暫くすると、どちらともなく差し出された舌がさらに、唾液を味わう
ように交差を始めた。
 初めて触れた他人の歯は、やけにツルツルしているのだと蔦子は感じ
た。

 降りかかってくる相手の短い呼吸。そして小さなくぐもった声。それ
ら全てが、行為を続けさせる。

 蔦子は自分の身体が溶け出していくような感覚をはっきりと自覚して
いた。おそらく本当に溶けているのだろう。そして彼女もきっと…。

 一度しか会っていないのに。そんなに、お互いのことを理解している
とは言い難いのに。しかし、何故か長久の歳月を待ち続けた恋人同士の
ように二人はお互いの唇を貪った。

 唇を咥え。頬までも舐め。

 互いの口内を行き来した唾液が首筋を伝い襟を濡らしていったが、二
人は気にもとめなかった。それどころか、全身を濡らさんばかりに舌の
動きをエスカレートさせていった。






 
 ようやく、長い長い口付けが終わっても、蔦子はそのまま笙子を抱き
しめ続けた。そして何度も何度も髪を撫でる。

 腕の中にいる彼女は、自分にとっての宝物に違いなかった。









 おわり。

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