『エレクトリック・レディランド』(江×蓉)
空を見よ。
烈風に形を崩され、鋭角的に削られた雲が踊っている。
まるで赤黒い鋭利な刃物の様に先を尖らせ、虎視眈々と喉元を両断し
ようと狙っているようだ。
早く。
早くその太刀で私を切り刻め。
江利子は物言わぬ大空に両手を伸ばし、嘆願して見せた。
しかし、変化が訪れようはずもない。音も立てずに雲は流れていくの
みだ。
気にいらない。
江利子はひたすらに、気にいらなかった。歯痒かった。
果てしない声無き慟哭。常に足元が崩れているような危うさ。全身を
覆いつくしている蔦。
そして、その息苦しさを沈黙でしか表現できない自分。何もかもが気
に入らなかった。
江利子を苛立たせる理由。
それは、決して手に入らない気持ちが存在するからだった。
水野蓉子という存在。
彼女は、別の場所を見ているから。彼女の表現してみせる全てが嫌い
だから。自分が持ち得ないものを、手にしているから。
強さを纏った脆さに見える極限とも言える美しさ。前を向きそれを隠
そうとしない視線。
真っ直ぐな黒い髪も。指先まで整った姿勢も。それら全てが…。
江利子は自分に欠けている、欠片で存在しているように見える彼女が
許せないのだ。
江利子は呟く。
あなたは、あまりにも立派に試練を受けている。
あなたは、あまりにも立派に試練を受けている。
あなたは、あまりにも立派に試練を受けている。
何かを見ようとしている。
何かを掴もうとしている。
あなたは、あまりにも立派に試練を受けている。
ああ、立派に。
私は、それから目を背けている。
私は、それから目を背けている。
私は、それから目を背けている。
あなたは、あまりにも立派に試練を受けている。
でも、私はそれから目を背けている。
ああ、無様に。
だから。だから。
蓉子。私はあなたが大嫌い…。
でも、一瞬でもいいから蓉子が私を見てくれるなら…。
私はきっと…。
『リリー』(江×蓉)
171回と7つの罪。最後に感じたのは、あなたへの欲情だった…。
ある日。江利子は蓉子にキスをした。
両腕を掴み壁に押さえつけ、唇を近づけていく。
真っ直ぐに切り揃えられた髪。すっきりとした鼻。白い肌。瞬きもしな
い黒い眼が、ゆっくりと近づいてくる。
どんなに近寄っても美しい表情。
瞳の中にいる自分を見たとき、薄いコロンの匂いと、蓉子の唇から流
れてくる吐息がはっきりと重なった。
「眼を閉じないのね」
江利子は、零距離で言い放つとそのまま唇を合わせる。二人は目を見
開いたまま、お互いの唾液を交換した。
江利子は長いキスを交わしながら。聖を思い浮かべる。
聖、あなたには出来ないでしょう?
久保栞の幻影に日ごと立ち向かっているあなたには、出来ないでしょ
う? あなたは触れることすらできないでしょう? 私にはこんなにも
簡単。
だって、私は蓉子が嫌いだから。
私は蓉子が嫌い。
美しい髪も。美しい瞳も。
蓉子が持つ、全てのものが嫌い。
蓉子は言ったわ。
「犠牲? それが本当に好きなら犠牲なんて思わない」
ああ、そういうこと? 素晴らしいわ。
でも残念ね。だからこそ蓉子と聖は一緒にいることは出来ないのよ。
私には。私にはこんなにも簡単。そして楽しい。
残念ね。二人とも。
とんだ笑い話。
存在していながら。存在しないという矛盾。それに気がついたのは。
私には行くことができないと悟ったから。
以前は、行けると思っていた。
音速よりも速く。光の速さで行けると思っていた。
希望の元へ行けると信じていた。
でも、それはとんだ勘違い。
まっ逆さまに落ちていく。
蓉子。あなたは。あなたは。
あなたは、時代遅れの天使だわ。
『明確に明快で縦横無尽な迷走に酷似した逃走』(令×祥)
「そこに、座りなさい」
当然のような命令口調。そして、すらっとしなやかに椅子を指差す、
祥子の声にはなんの澱みもなかった。
しかし、だからこそ破壊的なまでに美しい。
そこに溺れてもがき、破滅するほど美しい。
細胞が粉一握り残さず殲滅するほど美しい。
祥子は、極限までに磨かれた日本刀なのだと令は思う。
暗闇の中で鈍い光を放つ鉄の塊。
肉を切る為だけに存在する芸術品。
一度手にしてしまえば試さずにはいられなくなる魔力。
きっと自分は祥子を手に入れてしまったばかりに、あらゆるものを捨
ててしまったのだろう。全てを失ってしまったのだろう。一切の哀れみ
もなく、慈悲もなく。祥子に、自分は壊されてしまったのだろう。
そう考えるほどに令の心は燃焼し、祥子への気持ちは膨れ上がってい
く。余力を残すことすら無視して、疾走していく。
祥子、聞いている?
私はこんなにまでも無防備で、あなたに向かっている。
祥子、理解している?
私はその手で触れられるためだけに、生きている。
令は、言われるまま椅子にゆっくり腰掛けた。すると祥子はセーラー
カラーに手を差し入れると、江利子に貰ったロザリオを引き出した。
「今、これはいらないわよね」
そのままテーブルの上に置かれた紅茶の入ったカップの中に沈める。
銀色の光が、錆びた鉄のような色に変わった。祥子はそれを満足そうに
眺めると令に向き直り、そして首筋に噛み付いた。
「うっ」
わずかに漏れる苦痛。
それを無視して力が加わってくる。
痛み。
痛み。
痛み。
血が滲んでいるかもしれない。と令は思った。
祥子は表情を変えることなく、首筋に顔を埋めている。令の何かを切
り取ろうとするかのように。
唾液が首筋をつたって、カラーとインナーを濡らしていく。
暫くして、ようやく令を解放した時、皮膚を突き破り完全に紅い穴が
あいていた。少しの時間をおいて、血が流れてくる。
一筋。二筋。
細く流れていく。
「流星みたいに綺麗よ。令」
そう言って、満足したのか祥子は取り出したハンカチで自分の口を拭
った。真っ白い布地に少しだけ、紅い染みが出来上がる。
令は、いつまでも黙って祥子の唇を見ているだけだった。
祥子、知っている?
自分がどんなに美しい存在であるかを?
祥子。
私は、あなたが…。
『切り刻んで。粉々にして。圧縮して。捨てる…。』(令×祥)
二人きりの時に声をかけると、祥子は嫌な顔をする。
私が、何をするのかわかっているのだろう。
乱雑に手を掴み、床に組み伏せることも。
粗暴に身体を引き寄せ、唇を合わせることも。
覆いかぶさって、射るように眼を合わせることも。
わかっているのだろう。
私は祥子の髪も。爪も。鼻も。耳も。首筋も。足首も。声も。吐息
も。その全てに透明な清涼さを感じ、舌を這わせたくなる。
中にあるもの。持つもの。その全てが尊く特別で、儚い花のように感
じ、壊したくなる。
私は、まるで力の無い人形を相手にするようにして祥子を転がした。
いつものように。
それでも言葉は返ってこない。抗議の表情を見せるだけだ。
冷たい感触。
私の発する熱を無視するかのように、祥子の身体は氷のように冷た
い。
この冷たさは、なんだっただろうか?
遥か対岸に見える陽炎を掴むかのように私は思いをはせる。
そう。これはまるで…。
冬の日。早朝に見たバケツの表面を覆った氷のような冷たさなのかも
しれない。
考えてみると。どんな冷たさも、あの冷たさにはかなわないように思
える。
子供の頃に見た思い出とは何故にこんなにまで衝撃を保っているのだ
ろうか?
暑かった夏の日。
庭にある鉢植えの表面はひび割れを起こすほどに焼けていた。その上
で繰り広げられた虫達の生と死。
あれは、間違いなく世界だった。
真っ赤に感じた太陽。
真っ暗に感じた夜の闇。
今は、感じることができなくなってしまった感情。
でも、祥子の身体はそれすらも思い出させてくれる。
無邪気で、無慈悲で。徹底的に残酷で。圧倒的な破壊を。
思い出させてくれる。
だから
私は祥子を抱きしめる。
『そこで死ねと祥子が言った』(令×祥)
ゆっくりと胸を上下させる。
ゆったりと空気を吸い込む。
けれども、何故か脈と呼吸のバランスがあっていないような気がして
眠ることができない。
もうずっと横になっているというのに、布団は冷たいまま…。部屋の
中の空気は完全に停止している。
令は、自分の両腕が肘の先から存在していないのではないかという錯
覚を感じていた。掴めるものは何もなく、触ることすらできなくなって
しまったのではないかと…。
そこに希望はなく、表情すらも存在していない。昨日は去ってしまっ
た。去ってしまった。行ってしまった。行ってしまった。
それまでの希望は幻想で。
それまでの幸福は虚空で。
それまでの愛情は停滞で。
それまでの自分は偽装で。
令は見た。見てしまった。確認してしまった。理解してしまった。
無慈悲な激流のなかにたゆる、限りなく脆弱な美しい精神を。祥子
は、脆い触れれば風の中に消えてしまう灰の人形だった。
今、祥子は隣で寝ている。
先ほどまで、手の中にあった感触も置き去りにして。
先ほどまで、抱き合っていた熱も捨て去って。
先ほどまで、紡いでいた言葉を忘れ去って。
はっきりと言おう。
今、ここで言おう。
これは嘘だ。
これは真実ではない。
祥子は膝を抱えたまま眠っている。
丸く丸く。限りなく身体を小さくして、誰かの侵食を拒むように眠っ
ている。
眠っている。
眠っている。
眠っている。
まるで、胎盤の中で夢見る生物のように。
十ヶ月の思い出を貪る赤子のように。
意識を、意識してしまった電気羊さえも垣間見ることのない、夢を見
るように。
眠っている。
眠っているから。
ここには誰もいない。
誰も。
露ほどの光も。
存在しない。
そうやって、祥子はいつも令を絶望に落とし。檻の中に閉じ込めてい
るのだ。
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