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 「降ってきちゃった…」

 空から黒い雨が落ち、灰色の路面が少しづつ染まっていく。
 同時に、コンクリート特有の埃っぽい空気も彼方へと沈んで、空気のみなら
ず街全体の色数が少なくなったような錯覚を受ける。

 「やみそうにないね…」

 狭い軒先の下、肩が触れ合っている姉の言葉を聞きながら、祐麒は自分の心
を抑えることに全神経を集中させていた。

 彼の目には、沈んだ空気も灰色の世界も目に入っていない。




 日曜日。祐麒は、文字通り叩き起こされた。

 祐巳がテレビで紹介されていた東中野のアクセサリーショップに行きたい
と、案内を頼んできたのだ。最初は布団の中で渋っていたのだが、結局付き合
うことになった。かくして、久しぶりになんの予定も入っていない休日の午前
中「昼まで寝る」という魅惑的な計画は、脆くも崩れ去ったのだった。

 祐麒は、歯を磨いても顔を洗っても抜けない眠気に少し苛立ちを感じたが、
姉の「二人で出かけるの久しぶりだね」との一言で、ようやく意識がはっきり
とする。

 これってデートみたいなものか?

 途端、複雑な心境が襲ってくる。祐巳と一緒に外出すること自体はとても嬉
しいことではあるが…。

 だから、空が今にも泣き出しそうな雲に覆われているというのに、傘を持っ
て出るのを忘れてしまったのだ。



 ※※※
 


 「行ったことないのかよ? 東中野」

 「一度だけあるわよ、志摩子さんと」

 「志摩子さんって、ロサ・ギガンティアの?」

 「うん、白薔薇さま。よく覚えているじゃない」

 忘れようとしても、山百合会のメンバーは祥子さんを筆頭に、キャラクター
が濃いというのが第一印象である。なかなか忘れられるものではないと祐麒は
思う。

 「まあね。で、何をしに行ったんだ?」

 「春にね、神田川沿いの桜を見にいったの」

 「ああ、凄いらしいね」

 「うん、川に沿ってずっ~と桜が咲いているんだよ。感動しちゃった」

 電車の中での何気ない会話も、何故か楽しく感じる。

 (そういえば、最近こうやって話をしていなかったな…)

 日曜の午前中ということもあり、総武線はガラガラに空いていた。乗り換え
も無く一本で行ける為、程無く電車は到着した。
 改札を出て、空を見上げると空は益々濁ってきていた。夏だというのに寒気
を感じる程である。
 
 「何を買うんだ?」

 「髪を結うリボンだけど…」

 「リボン? そんなの沢山持っているじゃないか」

 「いいじゃない。新しいものが欲しいという女心がわからないの? まった
く男子校に通っているとこれだから」

 呆れたような声を上げる姉を横目で見て、そういう祐巳は女子高に通ってい
るから、男心がわかっていないんじゃないか? と、祐麒は思ったがすぐに打
ち消した。

 祐巳は姉。俺は弟。男心があるなんて、普通は考えるわけないよな…。

 嬉しそうに前を歩く姉の背中が急に遠くなったような気がして、自然と祐麒
は歩を速めていた。


 
 ※※※



 目的の店であっさりと買い物を済ませた二人が外に出てみると、まるでタイ
ミングを計っていたかのように雨が降り出してきた。

 「降ってきちゃった」

 駅まで走ろうとしたのが、途中で雨脚が強くなった為、二人は近くの軒先に
逃げ込んだ。
 有色の世界からモノクロへ、目の前の景色が刻々と変化しているというの
に、祐麒の目には何も映っていなかった。
 透けてみえるブラにどうしても目がいってしまうのだ。
 
 そして、狭い軒先に逃げ込んだ為、どうしても肩が触れ合ってしまう。
 
 雨で濡れた肩は、シャツを挟んでいるというのに妙に生ぬるく感じて、それ
が逆に相手の体温を感じさせている。


 (こんなに祐巳を近くに感じるのはいつ以来だろう)


 二人に会話は、なかった。


 祐巳はどう思っているのだろうか? 祐麒はちらりと横顔を確認する。しか
し、普段は手に取るようにわかるはずの表情も今は何も語っていなかった。


 暫らくの間、そのまま肩を寄せていたのだが、突然、祐巳は「止みそうにな
いから、コンビニで傘を買ってくるね」と言って、止める間もなく雨の中を駆
けていった。誘った側という立場を考えての行動なのだろう。そして、どうや
ら姉としての威厳をみせたいらしい。

 「お、おい」

 すぐに追いかけようとしたが、背中にどことなく誇らしげな物を感じた祐麒
は、踏みとどまった。それで祐巳の気分が良くなるというのなら、させておい
たほうがいいかもしれないと思ったからだ。

 「まったく。しょうがないヤツだ…」

 その言葉を打ち消すように雨脚は、さらに強くなっていく。ただ、どういう
わけか肩に残った祐巳の温もりが、やけに愛しく感じられた。

 
 暫らくして、戻ってきた祐巳の手に傘は一つしか握られていなかった。そし
て、反対の手には缶コーヒーが一つ。

 「なんで?」

 「だって、二つ買うのもったいないでしょ?」

 訝しげな顔を向ける弟に祐巳は、こともなげに言い放つ。そしてコーヒーを
握らせてきた。

 「……」

 (百歩譲って傘はわかる)

 家に帰ればちゃんとした傘があり、このビニール製の傘は使い捨てになるだ
ろうからだ。確かに、急場を凌ぐのなら二本買うのはもったいない。

 しかし、コーヒーまで一本とはどういうことだろう? 祐麒は、念のために
問いただした。

 「祐巳の分は?」

 「私? ああ、そんなにいらないから少しだけ頂戴」

 どうやら、間接キスになることをなんとも思っていないらしい。いや、姉弟
でそれを意識する自分がどうかしているのだろうか? そんな疑問が擡げてく
る。
 
 「飲まないの?」

 そんな、祐麒の気持ちを知ってか知らずか、祐巳は早く飲めと目で訴えかけ
てきた。結局は自分が飲みたいのだろう。

 仕方なくプルタブを開け少しだけ口に含んだ。すると、祐巳は弟の手から缶
を奪いとるようにして持っていくと、美味しそうにコクコクと咽を鳴らして飲
みはじめた。

 「あ~美味しい。はい、残りは全部飲んでいいからね」

 ニッコリと笑って自分が口をつけた缶を、返してきた。ここまでされると、
わざとやっているのではないかとさえ思えてくる。
 
 (まあ、そんなわけないだろうけど…)
 
 溜息を一つ吐き出し気分を落ち着けると、祐麒は一気に缶の中身を飲み干
す。やはりというか、味は全然感じられなかった。

 「じゃあ行こう」
 

 二人は体を密着させ、小さいビニール傘の下に収まった。何故か、冷たかっ
た雨も暖かく感じる。


 ただ、触れ合うことで、あらためて姉との距離を感じる祐麒だった。








 密着はしているが、その距離は限りなく遠い…。







 今日は楽しい日?

 祐麒はそんな自問を繰り返したが、答えは出そうもなかった。
 




 ―おわり

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