蓉子は、弟とかなり特殊な姉弟関係であった為、スールというシステムを知った時も特
に何も感じてはいなかった。
それは「姉妹」「兄弟」という関係を希薄に感じていたからに他ならない。だからもし
誰かが自分を姉妹にと申し出てきても、断ってしまうだろうと考えていた。
そんな蓉子に声をかけた人物には「紅薔薇のつぼみ」という称号がついていた。
彼女は初対面だというのに全く遠慮というものがなく、そして蓉子も何故かそれを当然
だと感じた。
※※※
「ちょっといいかしら」
放課後の廊下で何気なくかけられた声。その上級生には見覚えがあった。新入生歓迎会
の時に紅薔薇さまのアシスタントをしていた人物だったからだ。
ロサ・キネンシス・アン・ブゥトン。
まるで早口言葉のようなそれは、記憶力が良い自分でさえも、三種類を一瞬で覚えるの
は無理だったことを思い出す。
いつも皆が噂をしていた。特に紅薔薇の蕾と呼ばれる雪南は、見た目のインパクトも
あってか非常に人気が高かった。
彼女は一際身長が高く、美しいと思える容貌を持っていた。
「雪南さま、紅薔薇のつぼみ」
蓉子は、自然と見上げるように答える形になった。
「私のことを知っているのなら、話が早いわ。ちょっと一緒に来てくれないかしら」
彼女の口元には笑みが浮かんでいるが、無言の圧力を感じる。彼女は蓉子の返事を待た
ずに場所を告げてきた。
「薔薇の館よ」
そこからは、遠慮というもが一切感じられなかった。
※※※
雪南に連れられて初めて入ったそこは、何故か空気がどろりとしているように感じられ
た。まとわりつくような、沈滞しているような、そんな感覚である。
階段を上る途中、先を行く雪南の足に目がいった。残暑の厳しい中でも真っ黒なストッ
キングを履いている。それは驚くほど細いものだった。
ふと、彼女から足音が聞こえないことに気付く。どういうことか、能動的なものが一切
感じられない。先程、声をかけてきた時さえもそう感じた程だ。
印象どおりの、物静かな人なのかもしれない。
そのまま階段を上り会議室に入ると、雪南は用件だけを簡潔に述べた。
蓉子はまだお互いに自己紹介をしていことに気がついたのだが、不思議とそれに違和感
を覚えなかった。
きっと、必要さえないことなのだろう。
「学園祭の仕事が忙しくてね。あなたに私の仕事を手伝ってもらおうかと思って」
「紅薔薇のつぼみのお手伝い。私などでよろしいのでしょうか?」
雪南は面白くなさそうに言葉を続けた。
「そんなことはどうでもいいの。私は当然のように手伝ってくれて、仕事をこなす人間
に声をかけたつもりだったのだけれど?」
これは、彼女の中では既に決定事項なのだろう。
「…わかりました。お引き受けします」
蓉子の答えに満足したのだろう。二度ほど頷いただけで、それ以上の反応はなかった。
そして、雪南は自己紹介もしないまま書類の整理を命じただけだった。
※※※
蓉子は薔薇の館に出入りすることになってしまった。
仕事自体は問題ではなかった。
自分を忙しくしていることに心地良ささえ感じる蓉子にとってみれば、真面目であるこ
とで、そこに馴染むのはわけがなかったからだ。
それよりも、外野の声が考えていたよりも大きかったのである。
『あのロサ・キネンシス・アン・ブゥトンに妹が』という話題は、学校新聞にさえ載る
始末だった。
クラスメイトから質問攻めにあった蓉子は、改めて雪南が特殊な人間なのだということ
を理解させられた。
しかし、当の雪南は時折、思い出したかのように蓉子の表情を確認している時があるだ
けで、特に何かを言ってくることはなかった。
蓉子も自分が彼女の手伝いで薔薇の館に来ていることを忘れてしまうほどだった。
三年生である紅薔薇さまは、雪南に妹が出来たと喜んでいたのだが、蓉子が彼女とスー
ルについて一言も話したことがないと答えると思い切り溜息をつき頭を抱えていた。
「いったいどういうつもりなのかしら、ごめんなさいね蓉子ちゃん。あれでも優しい子
なのよ」
自分からは、とても大人びて見える三年生の薔薇と呼ばれる人物達。
さすがに生徒の信任を受けて、生徒会を運営しているだけはあると蓉子は思った。容姿
も、物腰も、思考も、どれを取り出しても素晴らしかった。
しかし、その素晴らしい薔薇さまが、雪南という人物を妹に選んだ一点だけが、どうし
ても理解できなかった。
※※※
暫くして学園祭が終わり、仕事の手伝いという名目が無くなっても蓉子は同じように薔
薇の館へ出入りを続けていた。この場所の、どろりと腐りかけた甘さを含む空気が気に
入ったのかもしれない。
そして、何よりも雪南が「もう来なくてもいい」という一言を言わないままだったから
である。
そんなある日。
「私の妹になりなさい」それは何の前触れもないままの言葉だった。
仕事を終え、後片付けをしている時に雪南は、まるで子供に言い聞かせるようにさらり
と口にしたのだ。
いつもそうだが、これさえも彼女の中では決定事項なのだろう。すでに手にはロザリオ
が握られている。
以前の自分であれば、間違いなく断っていただろう。相手は殆ど会話をしたことのない
人物でさえある。しかし、流されるような行動にも関わらず、このまま妹に納まるのは自
然なように考えられた。
希薄な姉妹関係。
会話の無い姉妹。
かつての自分を連想させる、嫌な言葉しか浮かんでこない。
ここで擬似的な関係を作り上げ、自分はどうしようというのか?
だからこそ、蓉子は大きな疑問を一つだけ抱えた。それは今聞かなければ意味を持たな
い質問だろう。
「何故私を?」
しかし、返ってきたのは、当たり障りの無い上辺のものだった。
「ここ暫く見てきて結論を出したつもりよ。あなたが山百合会に必要な人材だから。仕
事も出来るし人望もある。それ以上の理由があって?」
「それは、本心ではないでしょう?」
蓉子は勇気を振り絞って言葉を投げかけた。
ここでも雪南が上辺だけを取繕うのであれば、拒否するつもりだった。
しかし、雪南は、はっきりと否定してみせた。
「そうよ」
表情を一切変えず虚偽を認めてみせる。
「初めは純粋に良い人材だと思ったから、これは本当よ。でもね、愚直に仕事をこなし
続けるあなたを見て、なんてつまらない人間だと感じた」
「では何故」
「あなたの、すました顔が許せないの」
彼女は本当に楽しそうに言いきった。喜ぶ姿を見るのは初めてである。
「だから、あなたの傷ついて悶え苦しむ顔を見たいと思ったのよ」
「悪趣味ですね」
「それに…」
「それに?」
「私には、あなたが必要よ」
嘘だ。蓉子は、自分がそのセリフを誰かに言われるのを待っていると、彼女が見抜いた
だけなのだと直感的に感じた。
だから言ったにすぎない。
雪南は悪魔のような笑顔を見せる。
そして「はい、これ」と短く口に出すと猫に餌を与えるように蓉子の手にロザリオを握
らせた。