3-7-20

 楕円テーブルに向かい合って座る永と幸姫。紅茶は既に冷たくなり、透き通
っていた茶色までもが沈んでいるように見える。飲まなくても渋い味がわかる
からだろうか、どちらも手をつけようとしない。
 乾いて淀んだ空気は益々重みを増し、時折聞こえる枯れ枝の囁きが空虚な演
幕を演出してさえいるようだ。

 そもそも、二人の間に会話はなかった。

 永は顎に手をやり、伏目がちに考えこんでいる。
 幸姫は、どちらかというと、それに合わせるようにテーブルをじっと見てい
るだけだ。瞳の中には、大小様々な形の傷が映り込んでいる。
 古い傷。新しい傷。
 過去の薔薇さま達が、楽しいことも辛いことも全て含めて、ここに存在して
いた証。彼女達も、いくつもの困難を乗り越えていったのだろうか…。幸姫の
目には、それらが文字通り「傷」としての意思を伝えているように思えてなら
なかった。



 永と幸姫は、薔薇の館に来る前に温室の裏で「二人」を目撃していた。
 何かを話そうとすればするほど、言葉は出てこない。「二人の姿」をそれほ
どまでに痛々しいものと感じたからである。
 悲しみでもない。
 怒りでもない。
 それは既に、恐怖にも似た感情かもしれなかった。



 どれくらいそうしていただろうか?
 先程まで遠くで聞こえていたマンドリンの連音や、ギターの和音が途絶えて
部屋は一層静かになり、それが下校時間を知らせてくる。
 黙ったままの永を諦め、幸姫がようやく口を開く。

 「ちょっと意外ね…」

 幸姫は、出てきた言葉が思いの外枯れていることに自分で驚いた。咽がカラ
カラに乾いるのだろう。いつのまか身体中の水分が抜けてしまっていたのだ。
 あわてて、目の前にある冷たいカップを手にとると、咽に流しこむ。苦味が
ゆっくりとまとわりつくように口の中に広がっていく。

 「……」

 永は、微動だにしない。

 「話には聞いていたけれど、あそこまでだとは思わなかった」

 「……」

 永は、動かない。聞いているのかどうかさえわからない。

 永と幸姫の見た二人。聖と栞は寄り添っていた。
 聖は、自分を曝け出しているようだった。それと同じくらい相手を求めるよ
うに。そして、全てを遮断して同じ空間に存在しているつもりだった。全てを
拒否して、一人で二人の世界を作るように。

 瞬間の甘いまどろみを、貪るかのような聖の表情。そこから楽しさや喜びは
微塵も見ることができず、不安が漂い、とてつもなく危険なものだった。
 それは、お姉さまである永が今まで見た事のなかった、聖という人間に存在
しえないとさえ思っていた表情だった。

 「二人が親密になることについて、別に問題はないと思うわ。個人の自由だ
しね。白薔薇のつぼみとしての立場なんてこの際重要なことではない。私が言
っているのは、聖は久保栞さんのことを知っているのか? ということよ」

 永は…。永は、永は。

 「あなたのことだから、既に調べて知っているんでしょう? 久保栞さんが
どのような状況にあるのか」

 永は、動かない。

 「聖ちゃんは、完全に依存状態に入っていると思う。あれを見る限り、知っ
ているとは思えないわ。問題はそこなのよ」

 動かない。

 「あのままだと近い将来必ずよくないことが起こる。それに…。蓉子ちゃん
のことだって…」

 永は幸姫の言葉を右手を上げて遮った。

 「そうね…。蓉子ちゃんにあの二人の姿を見せるわけにはいかないわね…」

 ようやく搾り出した声は、先程の幸姫のように乾いたものだった。
 
 「雪南は、何か言っていた?」

 永は黙ったまま首を横に振る。幸姫も、最初から期待していなかったのか、
それ以上の詮索はしない。

 「私は、大きな過ちを犯してしまった…。聖があれほど人間を求めていると
見抜けなかった…。いいえ。わかっていたつもりだった。理解しているつもり
になっていた…」

 「永…」

 「聖の気持ちを勝手に想像して、そうであるだろうと決めつけていた。こう
いう性格なんだろうって、それが真実であるかのように思いこんでいた」

 「真実かぁ」

 「それに、気持ちが雪南にばかり向かっていた。姉失格ね…」

 「反省はいらない。問題はこれからどうするかよ」

 幸姫は笑顔を作ると、永の肩に手を置いた。温もりが伝わってくる。
 たったそれだけのことではあるが、少しだけ前向きな気持ちになれたことが
嬉しかった。

 「そうね、まだ間に合うはずよ。少し話してみるわ…」

 「聖ちゃんと?」

 「聖は勿論だけれど、栞さんともよ」

 永はようやくカップに口をつけたが、紅茶の味を例え様もない程に渋く感じ
ていた。

 



 ※※※




  
 永が聖に感じていたもの。それは限りなく純粋な精神であった。
 
 人を思いやる心があるからこそ、その優しさ故に疎遠になってしまう。
 他人の全てを見ようとしてしまうから、相手を理解しようとするからこそ傷
つく。

 言うなれば真正面から向き合うことに他ならない。
 防御することなく、他人の意思に晒されるということだ。

 そして、無防備な心はいつか砕ける。

 だから永は、雪南に向き合った視点とは正反対の方法で聖を「守りたい」と
思ったのだ。
 隣に一緒にいるという繋がりではなく、文字通り「姉」として接したいと思
ったのだ。それは少なくとも間違いという範疇の行動ではなかった。


 しかし、聖はもっと単純に「自分を知ってほしい」と考えていたのだ。同じ
目線で、対等な立場で。

 本当の自分を理解してもらうこと。

 長所も短所も。
 コンプレックスも。
 昔の思い出も。
 全てを曝け出して、知って欲しい。それこそが、聖の望みだったのだ。

 同時に、自分の性格を勝手に想像されること。他人の尺度で自分を型にはめ
ようとすること。に反発してもいた。
 自分のことを理解できるのは、自分のみだというのならば。他人の心も理解
することもできるわけがないと思うことは当然である。
 ただ、それでも心のどこかで、自分の全てを知ってくれる存在がいるはずだ
と考えていたのだ。



 蓉子が聖に惹かれた部分。それは、聖の目に映っているだろう荒涼とした灰
色の空の下に続く無限の砂漠に対してだったのかもしれない。

 それは「強さ」だった。

 生活のうえで尽きることなく襲いかかる矛盾。その矛盾と向き合うことので
きる精神力。

 それが、蓉子が欲していたもの。望んでいたもの。

 疑問を持つことなく存在するという「強さ」

 本当の自分を探していると「思いこんでいる」蓉子には、限りなく魅力的な
ものだったのだ。

 だから、蓉子には聖が燦然と光を放つ存在に見えたのだ。暗闇の中にいる者
が明かりを欲しがるように。聖がその光を持っていると「思いこんだ」のだ。

 しかし、それは恰も自分として認知されている優等生という人格のようなも
のだった。それを誰も蓉子のペルソナだと理解できなかったように。聖もま
た、厚く冷たいペルソナを被っていたのだ。聖の表面上の「強さ」にとらわれ
るばかり、仮面を見落としてしまったのだ。

 そして蓉子は、それに気付いていなかった。




 栞が聖の中に見たものは、自分の存在を知ってほしいと願う、脆い少女の姿
だった。
 それは、簡単に栞の心に届いた。なぜなら、彼女自身も自分を知ってほしい
と思っていたからだ。聖と同じように、自分が自分であるべき姿で人に理解さ
れていたいと願っていたのだ。

 聖が栞を希望と感じたように栞もまた、聖に希望を感じていたのだろう。

 しかし、どんなにそれを強く思っていても。現時点でそれは二人の中では
「思いこみ」にしかすぎない。

 何かで確認したわけではないからだ。




 そして、それを確認する方法など存在しないのだから。

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