3-7-27

一部性的表現を含みます。嫌悪感を示す方は十分な注意をお願いします。








  部屋の中には永、幸姫、令の三人がいた。既に放課後であり、太陽
の落とす影も随分と伸びきってしまっている。

 「ありがとう令ちゃん。今日はもういいわ」

 幸姫は令からソーサーを受けると俯いたまま言った。沈んでいること
が容易に理解できる声。しかし、それは幸姫だけではない。
 薔薇の館の空気も、恒例となってしまったが如く彼女達と同じくらい
沈んでいるのだ。

 「はあ、わかりました」

 二人の薔薇さまの微妙な空気を察してか、令も口が重い。

 「あの、ひょっとして。聖さまのことでしょうか?」

 現在最大の懸案事項である。正面から語られることは少ないが、皆が
心を割いているのは間違いない。

 「うん。なんて言うのか…、ね」

 幸姫が自分で答えることができず口ごもっていると、永が先回りする
ように言葉を挿む。態度から察するに、多分同じことを考えているのだ
ろう。

 「聖と栞さんが来ることになっているの」

 なんとかしなくてはならない。そんな決意を感じることができる。

 「そうですか」

 「ええ、だからごめんなさい。今日はもう帰っていいわよ」

 「はい。わかりました。あの…」

 「どうしたの?」

 躊躇いながらも令は口を開いた。

 「いえ、その…。昨日の放課後に蓉子さまが、栞さんと何か話してい
たのを見たのですが…」

 令も殆ど関わりがないとはいえ、やはり気になっていたのだろう。

 「昨日?」

 「はい、そうです」

 「永、雪南は何か言っていた?」

 「特に何も…。蓉子ちゃんは普段と変わらない様子だって。ただ何か
起こるのなら私達には止められないだろうって…」

 「江利子が、蓉子ちゃんに栞さんのことを言ったのはわかっていたけ
れど。こんなに早く行動するなんて」

 「令ちゃん。悪いのだけれど、しばらくここにいてくれるかな? 私
達はちょっと外を見てくるわ」

 言うが早いか、二人はプリーツを翻し走り出していた。



 ※※※



 蓉子は脇目も振らずに教室を出て行こうとする聖を呼び止めた。

 「なにか用事?」

 これから栞と会う約束をしているのだろう、呼び止めた聖の反応はい
つにもましてぞんざいのものだった。そうでなくとも今日は、お姉さま
たちに呼び出され薔薇の館に行かなければいけないのだ。心が逸ってい
るのか、単純に苛ついているのか右足でリズムをとるように何度も床を
打ち鳴らしている。さらに、その目は鋭く何者をも射抜くように開かれ
ていた。

 向けられる冷たい視線は、蓉子にしてみればとても辛いものだ。だ
が、それが聖の自分への思いなのだろう。
 違いすぎる視線。栞を見つめる時とはまったく違う視線。それは最早
ありえることのない未来を掴むかのように超然としたもので、罪悪感さ
え消してしまうには十分なものだった。聖に栞のことを告げるという行
為を後押ししているように。
 悲しむべきは、それが今まで聖に対して抱いていた暖かな気持ちより
もはるかに熱く身を焦がしているという事実。そして、それに全く気が
ついていないという現状だ。

 「優等生になりたいわけではない。ただ、そのようにしか生きられな
い」自己否定からくる単純な感情の袋小路。だからこそ求めて止まない
のは、理想の自己形成だったはずだ。
 しかし、悲しみや怒りに身を任せて発露する。蓉子が望んでいた自分
とはこのようなものだったのだろうか?
 
 「そんなに尖がらないで。あなたにとって大切な話なのよ。栞さんの
ことよ」

 「栞の?」

 その一言は興味を引くには十分すぎるほどだった。真正面から相対す
ると、聖はようやく話を聞く姿勢に入った。

 「なんだって言うの? 私と栞のことなら何も言われたくないわ。他
人に何かを言われるような関係じゃない」

 「そんなことわかっているわ。私だって言うつもりはない。ちょっと
聞きたいことがあって…」

 平然と、そして一切の躊躇もなく言葉は滑り出してくる。にもかかわ
らず、この言葉は自分の身体から発せられているのだろうか? そんな
不思議な感覚の中に蓉子はいた。
 ともすれば、俯瞰しているような気さえする。眼下に見下ろす聖と自
分。二人が向き合って何かを話しているのだ。そして、聖の目はどこま
でも冷たく、自分の目が醜く歪んでいる様もよく見ることができる。ま
るで鏡の国から眺めるように。


 あそこにいる私は、何をしようとしているのだろう。

 何を話そうとしているのだろう。

 やめて。それ以上言わないで。

 やめろ!


 手を伸ばして叫んでみたが、何かの番組を見るように二人の会話は進
んでいく。

 「なに?」

 「栞さんはね、もうすぐここを出ていくの。リリアンからいなくなる
のよ。あなたの前から…。聞いている?」

 なんの呵責もなく、一切の澱みもなく、向こう側の自分はそれを告げ
ていた。向けられる視線を否定するように、消すように。

 「誰から…、それを」

 聖はやはり聞いていなかったのだろう。一瞬にして顔は青ざめ、目に
力が無くなっていく。それを見た向こう側の自分の表情がさらに歪んだ
気がした。

 「本人から聞いたわ。随分悩んでいるようだった」

 「栞から! 何故蓉子に。どうして私には?」

 「辛かったのではないかしら。あなたを裏切ってしまうことになるの
だもの…」

 「そ、そんな。嘘だ!」
 
 それだけ言うのがやっとだったのだろう。聖は、力無い足取りでゆっ
くりと教室を出ていく。蓉子は、夢遊病者のような思い人の後姿を見送
ることなく暫くその場に立ったままだった。

 教室にはもう誰もいない。何も聞こえなかった。それなのに耳の奥
で、もっと深い部分で、恐らく記憶の中で、燻ぶり続けている自分を呼
ぶ声が聞こえている。それが、幾重にも乱反射していく。
 自分は何をやっているのだろうか? 聖に告げて何をしたかったのだ
ろうか? その問いすら今では滑稽なものにしかなりえない。

 傷だらけになり、模様のわからなくなってしまったビー球のように。
 自分の一部がくすんで、ぼやけてしまうことを止めることはできなか
ったのだ。


 罪が、重ねられたのである。

 
 「蓉子ちゃん? どうしたの惚けちゃって」
 
 蓉子を現実に戻したのは、薔薇さまの声だった。永と幸姫が息を切ら
せて横に立っている。

 「黄薔薇さま。どうされたのですか?」

 「ええ、聖ちゃんにちょっとね。今日こそ薔薇の館に来てもらおうと
思って。見かけた?」

 「申し訳ありません…」

 「どうしたの?」

 「申し訳ありません。黄薔薇さま。白薔薇さま…」

 うなだれたまま。蓉子は続けた。いったい誰に向かって謝っていると
いうのだろうか?

 「教えて。私を見て答えて。お願い」

 永は蓉子の肩を掴むと軽く揺すった。
 蓉子は視線を合わせることなくゆっくりと答えた。既に意識は自分の
肉体に戻っている。

 「聖に言ってしまったんです。栞さんがいなくなってしまうって…」
 




 ※※※




 
 聖は待ち合わせ場所であった温室に飛び込むと、栞を力の限り抱きし
めた。まるで玩具を盗られまいとするように、そうすれば大切なものが
なくならないと信じる無邪気な子供のように。

 「どうしたの?」

 荒々しい行為にも驚くこともなく、栞はその身を預けた。
 柔らかな感触以上に温かみが伝わってくる。
 聖には信じられなかった。この温もりを持った存在が自分の前から消
えてしまおうとしていることに。今はそれ以外に考えられなかった。
 
 「何かあったの?」

 もう一度、優しく声をかける栞。しかし、今の聖には逆効果になって
しまった。何故あなたはそんなにも落ち着いていられるのか? 自分が
何も知らないと思ってそんなことを言っているのか? 芽生え始めた疑
いが肥大し始める。それは瞬く間に思考に黒い影を落としていった。

 聖は身体を離すと詰め寄った。
 
 「あなたがここを出て行くって。私の前からいなくなってしまうって
聞いた…」

 「そう」

 「嘘でしょ?」

 「偽りではないわ。聖」

 即答。刹那の猶予もなく肯定する目の前の黒い髪。

 「何を言っているの、冗談でしょ? からかっているんでしょう?」

 「本当のことよ。私はリリアンをやめてシスターになる為の勉強を始
めるつもりよ」

 「どういうことなの、いったい何故なの、私を残して…。私の気持ち
を裏切るというの!!」

 「違うわ」

 「栞の気持ちは嘘だったの?」

 「私を信じて、聖…」

 今までに人から信じてほしいと言われたのは何度目だろうか? 聖は
あまり言われたことがない為か、なんと反応すればよいかわからなかっ
た。

 信じるとは何だろうか?

 何をすれば、信じるということを実践したことになるのだろうか?

 そもそも、栞にとっての信じるという言葉はどのような意味を持って
いるのだろうか?

 今の混乱した聖に思考する力はなく、さらに苛々が重なる。

 「そんな言葉ではわからない。信じるなんて言葉ではわからない。答
えて栞!」

 それ以上何も答えることのない栞を見て、聖の感情は制御を失ってい
く。

 「お願い。答えて…」

 嘆願の前で栞はすっと目を閉じると、身を晒すような仕草をした。
 罪を甘んじて受け入れるというのだろうか?

 キリストのように?

 馬鹿にするな!

 それが発火点だった。瞳に宿った青白い炎が蒼く勢いを増し、そして
完全に自分の精神を忘却した。

 「私は、あなたを離さない。絶対に!!」

 栞を押さえつけると、強引に唇を重ねる。
 
 「ん、う…」

 聖は、くぐもった声さえ掻き消すようにさらに強く唇を貪った。そし
て、そのまま乱暴に身体を地面に転がす、黒い髪が石畳の上でまるで生
きているように八方に散乱していく。

 「神であろうと、マリア様であろうと、絶対にあなたを渡しはしな
い!」

 名前を呼び続けながら、抵抗をしない肉体に手をかけた。涙にまみれ
た顔で聖は栞を蹂躙する。

 温室のガラスが曇っていく。そこには、相手の気持ちを確かめ合おう
とした二人の姿はなかった。信頼は微塵もなく、触れられれば目覚めら
れるという感覚も存在していなかった。

 あっけなく。いとも簡単に。二人の関係は塵のように壊れたのだ。



 ※※※



 「何をやっているの、聖!!」

 「離しなさい!!」

 温室に駆け込んできたのは永、幸姫、そして蓉子の三人だった。

 驚愕した永と幸姫は聖を引き離しにかかったが、蓉子は微動だにする
ことなくその光景を見ていた。
 
 否、動くことができなくなってしまったのだ。


 ……ああ、そうだったの。

 そういうことだったのね。


 見たことのある光景。忌わしき記憶が、脳裏から表層へとなだれ込ん
でくる。今、はっきりとここで重なり、理解が訪れたのだ。

 力任せに聖を引き離した時。彼女の目が青白く景色を映しているのを
蓉子は見てしまった。怒り、寂しさ、何よりも大きな悲しみ。それらが
支配している聖の瞳を。

 全てがそこにあった。

 なぜなら、同じであったから。その瞳は以前自分を襲った弟とまった
く同じものだったのだから。

 クルオシイホドモトメル。

 その執着の終着点が、そこに存在していた。

 弟は、蓉子のことが好きだったのだろう。血の繋がりが無いことを知
っていたのか知らなかったのかはわからない。ただ、純粋に蓉子が好き
だったのだ。けれども蓉子が弟を見ることはなかった。自分の欲しがる
存在「母」しか目に入っていなかったのだから。

 蓉子が心の底から母を渇望していたように。絶対に母を手に入れるこ
とができなかったように。
 弟は気持ちを向けていたのだ。振り向いてほしかったのだ。求め続け
ていたのだ。
 その思いは、狂おしい程に…。身を焦がす程に…。全てを捨ててもい
い程に…。
 強いものだったのだ。




 だから、手に入らないと理解した時。




 壊すことを選択したのだ。

 破壊して支配しようとしたのだ。

 愛しき者を蹂躙することで、その全てを掴みたかったのだ。


 聖が栞にしたように、蓉子もまた…。








 私は…。

 私は、そうまでして聖を手に入れたかったのか!

 そうまでして聖を支配したかったのか!

 破壊したかったのか!



 

 いったいどこで間違ってしまったのだろうか? わかっていること
は、自分の行為が、弟の犯した過ちと同じだということだけである。

 聖の叫びが空間に満ちていく。赤ん坊の泣き声のように栞を呼び続け
ている。

 あの夏の日に聞いた蝉の声と重なったような気がした。

 そして、どちらが上か下かもわからなくなっていった。

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