3-8-31

  永の部屋は一般的に言う女の子らしいものだった。ぬいぐるみ等は無
いが、家具やカーテンは落ち着いたパステル調の色彩でまとめられてい
る。ただ、どれも文字や絵柄はなく全て無地であるところが一つのこだ
わりを感じさせていた。おそらく機能美のようなものを求めた結果なの
だろうと蓉子は思う。
 一方雪南の部屋は想像していたとおり、荒涼としていた。部屋の様相
は性格が出るものなのだろうか? そんな疑問が浮かんでくる。
 自分の部屋はどうだっただろう。やはり他人から見れば、お姉さまの
部屋のように何もなく寂しいと感じるのだろうか?

 無駄な物が一切なく、色調に乏しい自分の部屋。

 やっぱり性格が出るものなのかもしれない、と蓉子はひとりごちた。
そう考えて見ると、不思議なことに少し前までは無限の荒野を漂泊する
人物とまで見えていたはずの聖がこの部屋に合っているように感じる。

 聖は、もう随分と落ち着いた様子になっていた。蓉子が隣に腰を下ろ
した時も邪険にすることはなく、何も言わなかった。何か考えをまとめ
ようと必死なのだろう。そして、暫くして小さくではあるがようやく喋
り始めた。

 「どうしてだろう。自分の性格を知ることが、自分の理解になると思
っていた…」

 聖は視点をどこにも定めていないが、蓉子に向かうように話している
ようである。何かを自分に言わんとする聖に多少の違和感を覚えながら
も蓉子は向き直ってそれに答えた。

 「自分の理解? それが他人の理解にもつながると?」

 「そこまでは言わないけど、ただ抱えた思いを思考することはできる
と思っていた」

 「それは間違ってはいないと思うけれど?」

 蓉子も当然、その意見に対して思うことがある。自分の中にある仮面
を通しての視点や、聖への思い。それらがもたらした結末。それはどこ
からやってきたのだろうか?

 「そう。間違ってはいないと思う…。でもね、蓉子が来るまでにお姉
さまと二日間一緒にいろいろなことを話したんだけど…。例えばお姉さ
まと雪南さまの関係についてとかね」

 「…うん」

 「性格や思考は行動の原因にはならないんだ。多分…」

 「何が言いたいの?」

 聖の見出したものが、蓉子には理解できなかった。いや、漠然と言葉
は浮かぶのだが、それが意味のある言葉として処理することができない
のだ。

 「さあね…。きっと、もうどうでもいいってことなのよ」

 聖は身体を伸ばし自嘲すると、ようやく視線をこちらへと向けた。答
えを言葉として発することを嫌ったようにも見える。

 「蓉子。私に初めて話しかけた時のこと憶えてる?」

 「ええ…。でも、あなたは忘れてしまったようだったけれど」

 それに関しては蓉子の中で、はっきりと記憶として存在している。初
めて聖に言った言葉も、聖はそれをまったく憶えていなかったことも。

 「髪が綺麗だって言ったよね」

 「そうね…。でも、どうして忘れているようなふりをしたの?」

 「本当に今まで忘れていた。でもどうしてかな、蓉子の顔を見たら思
い出したんだ」

 「何故?」

 「知らない。そんなこと」

 聖はそれに無表情で答えると、突然立ち上がり蓉子の肩を掴んで声を
上げた。

 「お姉さまを呼んで頂戴。鋏を持ってきてほしいって。髪を切りたい
の」

 「髪を…。どうして?」

 「さあ、そんな気分なんだ」

 「気分…」

 「いいから、早く」

 急かす聖に答えるように、蓉子は部屋から出ると居間にいるはずの永
と雪南の元へ向かった。


 ※※※


 三人が部屋に戻ると、聖はすでに上半身シャツ一枚になって待ってい
た。それを見た永は「随分と用意がいいわね」と笑う。雪南は「勿体無
いわね。こんな綺麗なのに」と言いながらも、はさみで何度も空気を切
る真似をしている。やる気満々のようだ。しかも何故か鋏を持った姿が
妙に似合っているのが怖い。
 髪を切る理由は誰も尋ねなかった。恐らく、半分くらいは栞とのこと
とは無関係なのだろう。きっと、本当にそんな気分なのだ。そんな気持
ちが聖の顔からも伝わってくる。

 永と雪南が交代で鋏を入れていった。なんの戸惑いもなく一気に肩の
あたりで切断されていく。聖は相撲の断髪式みたいだと言った。そして
半分程してから黙って様子を見ていた蓉子に声をかけた。

 「切って蓉子。私の髪を綺麗だと言ったあなたに切ってほしい」

 真意がわからず躊躇したが、鋏を受け取るとゆっくりと髪に刃を落と
し、そのまま一束切り落とした。

 瞬間。感触が指先から全身を突き抜けていく。

 ぞくりとする冷たい波は何度も何度も蓉子の身体を往復し、それでも
止まることはなかった。それはどこにでも存在する感情の揺らぎのよう
でありながら、波間に漂う木の葉のように意識を掻き乱すのだ。
 続けることはできそうもなかった。まるで聖自身を切り刻んでいるよ
うだったからである。それを悟った永はすぐに鋏を受け取ると、続けて
髪を切っていった。

 長く美しい髪が床に落ちていく。薄いと思っていた色が、さらに透明
に溶けるようにさえ感じる。
 蓉子は散乱していく様子を眺めていた。


 鋏の無機質な金属音が響く空間に

 まるで天使の羽のように重さもなく

 髪であったという形さえも

 何一つ留めることなく埋もれていく

 光の筋を

 ただ、眺めていた。

 きっと、それは聖の気持ちそのものなのかもしれないと思いながら。


 ※※※

 その日、四人は永の家に泊まることにした。聖は三日目であった為、
親を説得することに苦心している様子だった。
 夜は、晩御飯を皆で作ったり、いろんなことを話して盛り上がった。

 永がイメージ通り当然のように料理が得意だったことに対し、雪南も
イメージ通り全く料理ができなかったことに、蓉子と聖が笑う。無理に
騒いでいるわけではなく自然と会話は進んでいった。

 「そういえば聖の誕生日はクリスマスだったわね」

 それを雪南は軽く言った。その日が聖にとって思い人との永遠の別れ
になってしまった日だという意識はないようである。

 「はい」

 聖も、特に何も感じた様子もなく答えた。

 「クリスマス生まれだから、聖なの?」

 「たぶんそうでしょう。あらたまって聞いてはいないですけど」

 「ふーん。そう」

 「どうしたの雪南」

 考え込む雪南に、永が質問した。

 「別に、ただフランダースの犬ってあるでしょ。最終回でネロと犬が
死ぬのだけれど、あれクリスマスなのよね。たしか…」

 何を言い出すのだこの人は…。蓉子は思わず口に出してしまいそうに
なったが、すんでのところでそれを堪える。言ってしまえば後でおしお
きが待っているかもしれないのだ。
 
 「何を言い出すの。まったく雪南は…」永が代弁するように溜息と共
に声を上げる。

 「ん? ああ。ネロはルーベンスの2枚の絵を見ることができれば、
死んでもいいとさえ言っていた。極論だけれど、原作の時代背景を考え
ると、この世に生きながらえるよりも二人にとって死のほうが情け深か
ったのよ」

 それに続けて、遮るように永の言葉が飛ぶ。

 「私は、絶対に死が救いなんて認めないわ。雪南、あなたは間違って
いる。大間違いよ。絶対に誰がなんと言おうが間違っている」

 雪南は、永の力強い物言いにたじろぐと蓉子に助けを求めた。最近の
二人の立場が見てとれるようだった。

 「蓉子。あなたはどう思うの? 二人の死は解放だったと思わないか
しら。それが一つの結末であるって、そう思うわよね?」

 蓉子は、その勢いに負けて肯定しそうになったが、正直に申告した。

 「申し訳ありません。私見たことがないんです…」

 「まったくつまらない娘ね。あなたって」雪南があきれたように言い
放った。向き直ると、今度は聖に詰め寄る。聖も口ごもったが正直に意
見を言った。

 「はあ。あの、その日って誕生日なので…。なんとも複雑です…」

 何かよくわからない会話だったが。こんなにまでも意見の違う二人
が、どうして上手く一緒にいることができるのか? 蓉子には最大の疑
問だった。


 ※※※


 夜が更けて皆が寝静まった頃、聖は重力を無視し光に吸い寄せられる
ように突然目覚めた。誰かに呼ばれるようだったのかもしれない。
 意識は、驚くほどはっきりしている。そして望郷する子犬のように懐
かしさを感じている。ともすれば全てが夢だったのではないかと思うほ
どだ。しかし、短くなった髪と指先に残る栞の感触が確かに現実を示し
ていた。

 聖は、そのまま指先を見つめる。

 どんなに時間が経っても、この感触は忘れることはないのだろう。

 ふっと視線を天井に移す。何もないはずの空間にぼんやりとした蒼い
光が浮かび上がっているのが見えたのだ。水に反射した光が、たゆるよ
うにゆっくりと揺らいでいるように見える。まるで自分に何かを伝えよ
うとしている意思のようだと聖は思った。
 光の出所を探すと、どうやら充電中の携帯電話の光が反射しているだ
けのようだった。何でもない光が、聖の中でいつかどこかで見た光の帯
に重なっていく。

 冬のバスの中で見たネオンのような輝き。

 あの時、自分は確かに綺麗だと思った。その思いがまだ消えていない
のだと実感する。そして栞が自分に残していった物も。
 途端に途絶えていたはずの涙がすこしづつ溢れてきた。

 蓉子は、かすれるような声に目を覚ました。あまりにも小さく押し殺
した声。それが泣き声なのだとすぐにわかった。
 きっと聖は今までもこうやって誰にも悟られることなく泣いてきたの
だろうと漠然と感じた。そして自分も。
 そう感じた時、蓉子は初めて聖と意識が重なったと感じた。そして、
聖が髪を切った理由を理解したような気がした。たぶん全てを忘れよう
としているのではないのだろう。

 悲しみが伝わってくる。

 蓉子は少し離れた場所に寝ているはずの聖を、すぐそばにいるかのよ
うに感じていた。

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