4-9-32

 年が明けてから、薔薇の館の話題は必然的に役員選挙が中心となって
いた。
 蓉子にとって選挙は、雪南のロザリオを受け取った時点で覚悟してい
たことである。事ここに至っても思うことはなく、普段どおり黙々と仕
事をこなし続けているだけだった。
 自身の肩書きに全く興味が無い江利子も、妹である令がうら若き乙女
達に黄薔薇さまと呼ばれるところを見たいという壮大な計画がある為か
意外にもやる気になっているようだ。それを本気だったと知った令がひ
たすら青ざめていたように見えるのは、恐らく気のせいではないだろ
う。
 一方。何の躊躇もなく役員選挙に臨もうとしている二人に比べ、やは
り聖は気持ちに問題を抱えているようである。既に他のメンバーも辞退
するであろうという雰囲気を感じていた。しかし、それは予想していた
ことであり、当然のように永も「全て本人にまかせる」と言ったきりで
一切口を挟まなかった。聖を妹として選んだ時点で、この状況を考えて
いたのかもしれない。

 そんなある日。薔薇の館には蓉子、聖、雪南の三人が来ていた。仕事
をしているのは蓉子だけで、聖と雪南は向かい合ってはいるが何もして
いない。そもそも二人にはあまり接点がないのだ。
 蓉子は、二人に背を向けて黙々と仕事をしていた。どちらでもいいか
ら少しでも手伝ってくれるのでは? という期待は微塵も持ってはいな
い。ただ、個性の強い二人が向かいあっている状況を見て、江利子なら
「何か一波乱起きるかも」と、喜ぶだろう等と考えていた。

 静けさの中、最初に僅かばかりの波を起こしたのは聖だった。それは
意外な質問から始まった。

 「どうして雪南さまは、薔薇さまになられたのですか?」

 「…私にそういうことを聞く人間って珍しいわね」

 一呼吸おいて雪南は困ったような、それでいながら口元に笑みを浮か
べながら、やんわりと答えた。背中で会話を聞きながら、蓉子も心の中
で頷いてみせる。自分であったら、絶対にしない質問だからだ。

 「まあ、ベストな人選ではあるわ。永に尋ねても全く意味のない質問
だものね」

 「何故ですか?」

 「だって、どんな役職でも健気に一生懸命こなす人間に尋ねても答え
は決まっているでしょう。その点、どんな役職も頑張りそうもない私が
薔薇さまなんてやっている。そこを聞きたかったのではない?」

 「……」

 図星であったのか押し黙ってしまった聖を見て雪南の表情に笑みが浮
かぶ。
 蓉子は背中で気配を感じながら、相変わらず人の考えていることを言
い当てる能力は健在なのだと思った。そして、先回りするように雪南が
「あなたを妹にすればよかった」等と言い出すであろう予測を立てた。

 「そういう反応って可愛いわね。誰かさんと違って…。私、あなたを
妹にすればよかったわ…」

 それを聞いて、誰かさんである蓉子は僅かではあるが拳を握り締め小
さく勝ち誇ってみせた。
 その行為にはあまり意味はないのかもしれない。ただ、成り立ってい
ないと考えていた姉妹関係が、こうやってお互いのことを少しでも理解
するようになってくると、それはそれで随分と良い関係なのかもしれな
いとさえ思えてくるのだから不思議なものだと蓉子は感じているのだ。
 しかし、それは同時に卒業してしまうという事実をも連想させた。寂
しさがあるのだ。ようやくわかり始めた関係であるから尚更なのかもし
れない。

 「何か特別な思いなどがあったのですか?」

 聖は、雪南の独特な会話の間にもひるまずに質問を続けた。やはり自
身の役員選挙について悩んでいるのだろう。きっと、どんな些細なこと
でも言葉が欲しいのだ。

 「薔薇さまになった理由か…」

 雪南はカップを両手で弄んでいるだけで、それ以上は何も口にしなか
った。そして、聞こえてくるのは風に揺られた窓枠の軋む音だけになっ
た。



 ※※※



 三年前。雪南の気分は最悪だった。


 丘の上にあるからだろうか、リリアン高等部は意外に風が強い。一年
を通して気持ちの良い風が吹いていて、春先ともなればそこに存在する
校風や生徒達をそのまま表現したように爽やかな雰囲気を作っていた。
 今年も風が新入生を祝福するように、散り始めた花びらを中空に持ち
上げ見事な桜吹雪を舞わせている。

 にもかかわらず、雪南は苛立ちを抱えていた。美しく咲き誇る満開の
桜も、それを助長するだけで何の感慨も与えてはいない。殺伐とした泥
沼を歩いていくような足取りで高等部の門をくぐっていた。
 彼女を苛立たせるものは、朝早く起きなければならなかったという事
実でもなければ、リリアンに通いたくないという単純なものでもなかっ
た。

 簡単に言ってしまえば、自分に苛立っているのだ。

 自分の中に、上手く説明できないけれど何か気持ちが漂っている。そ
れは恐らく自分にとってとても大切な物であり、もっとも重要な部分に
違いない。けれども、それを説明するべき方法や言葉が見つからないの
だ。
 見えないはずのものを、黄金の宝とするようなものなのかもしれな
い。あたかも、まだ世界が地図に示されていない時代。海を渡っていけ
ば、どういう場所かはわからないが、でもきっと多分そこは素晴らしい
場所なのだと思い込むような気持ち。不確定だからこその誤解。
 その、よくわからない存在するかどうかすらあやふやなものが、雪南
という人間の車輪を空回りさせる原因だった。
 しかし、さらに問題だったのは雪南がそういった抱え込んだ気持ちを
まったく外に出せないという部分にあった。

 クラスメイト達とも一線を引いていて、会話を交わすことは稀であっ
た。「ごきげんよう」と挨拶を一度もしたことがないという噂すら真し
やかに流れていた。そんな愛想の無い雪南ではあったが、生まれ持った
身長の高さ故か目立つ存在ではあった。しかし何よりも雪南を特徴付け
ていたのは、真夏でも絶対に脱ぐことのない黒ストッキングの為であろ
う。それに彼女の美しいと言える容貌と、動くことのない表情が加わっ
て興味の対象になり続けたのだ。
 ストッキングの向こうに隠されたような、雪南の実態。薄いものでは
あるが、それでも周囲は勝手に彼女を想像するしかなかったのである。
 そんな雪南であったから、早くも何人もの上級生からスールの申し出
を受けたが、全て断ったという話も出ていた。

 彼女は、決して笑うことがない。

 周囲はそんな雪南の様子を見て勝手に「沈黙の薔薇」「静寂の君」等
と呼んでは、溜息を漏らしていたのだ。
 未だ姉が存在せず、薔薇の妹でもない雪南に「薔薇」の冠がついたの
は、やはり異例のことだった。
 雪南自身は、自分に対する好奇の視線や好意に対しては何も思うこと
はなく、ただひたすら自分の中にある苛立ちと向き合い続けていた。

 暫くすると、雪南は自分の中にある「何か知れないもの」とは、元来
自分の中に存在していないものなのではないかと考えるようになってい
った。
 大切で重要であるが得体の知れないもの。説明することはできないけ
れど、それを考えると苛立ってしまう。だからこそ、それは自分に欠け
たもので出来ている自分には無いもの。もしくは無くしてしまったもの
だと推理したのだ。

 雪南が永と出会ってしまったのは、そんな気持ちを抱えていた時だっ
た。

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