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 自分の顔を鏡で見ることが嫌いだという人間は意外な程に多い。理由
の大半は顔のつくりを見ることが嫌いだという単純なものではなく、自
分の内側が見えてしまうことが苦痛だというものが殆どだったりする。
 表情をいくら偽っても。心の中にある悲喜、哀楽を消し去ることはで
きないからかもしれない。

 聖は自分の愚かさに苛立っていた。愚かさの定義についてはこの際ど
うでもいい。ただ、ひたすら光に反射して映る自分の作為的な笑顔に敵
意を感じずにはいられなかった。
 思いもせずに、笑ってみせている自分。そうやって仮面を被り自分の
罪を亡き者にしようとしているのだ。自分の汚い部分も醜い部分も覆い
隠して、知らぬふりをして、のうのうと笑顔をふりまいているのだ。

 最低だ。

 曇りかけの薄暗い午後。廊下の蛍光灯でガラスに反射した自分は、そ
れでも口元だけは笑っているように見える。

 「なんて無様な笑顔」

 自分に向かって悪態をついてみせるが当然聞いているものはおらず、
声は空気に霧散してくのみである。存在するのは苛立たしさだけだ。
 蓉子の言葉を借りてみれば、そんな焦燥こそが道化なのだろう。人を
笑わせるような滑稽な身ぶりや言葉を発しているわけではないが、彼女
から見れば今の自分は道化師なのだ。

 道化師。「愚か者」「笑われるもの」を演じる者達。サーカスになく
てはならない存在だ。
 彼方から、音を震わせやってくるサーカス。パレードは騒がしく、色
取り取りの声が並ぶ。
 行進。行進。足音。山高帽に、痩せピエロ。太ったピエロに竹馬ピエ
ロ。火吹きピエロに玉乗りピエロ。騒ぐだけ散らかすと、寂しさだけを
残してまた彼方へと去っていく。まるでジェットコースターのように浮
き沈みする精神のよう。まるでその時の気分を代弁しているよう。

 その一方で、騒がしく時には悲壮感すら漂わせるピエロに対し、笑顔
を絶やさぬクラウンの身振りが浮かんでくる。

 アルレッキーノは、まだらの衣装で棍棒を華麗に振り回し、剃った頭
に動物の尾をあしらった帽子を被り、そして顔には黒い仮面が鎮座して
いる。それは一見すると楽しげではある。元々人々を楽しませる為のも
のなのだから当然だ。

 しかし、ずっと見ていると底無しの恐怖も感じてくると聖は思う。

 どのような場面でも口は左右に引っ張られ、目は限りなく細く弧を描
き、不釣合いな目玉が空を望んでいる。その表情は動くことがない。何
故。ずっと笑っているのか? 動くことのない笑顔は、それは既に笑顔
ではない。まさしく恐怖だ。

 ならば、自分の笑顔は果たしてどちらだろう?

 「きっと、ピエロにすらなりきれていないのかな…」

 その時、何故か聖の思考の波間に蓉子の綺麗に整頓されたような笑顔
が浮かんできた。

 蓉子の笑顔。
 綺麗な笑顔。
 恐ろしい位に、整った笑顔。
 いつでも絶やさない笑顔。

 どうしてだろうか、説明はできないが先程思い描いたクラウンの笑顔
と重なっていく。

 「……蓉子は、ずっと笑顔だった?」

 そう、今になって思えば蓉子は初めて会った時から「あのまま」だっ
たような気がする。泣いたり。怒ったり。笑ったり…。感情の赴くまま
に変化する様を見たことがない。
 単純に、彼女との付き合いがそこまでのものになっていないとも言え
るが、それにしても皆無だということに聖は驚きを感じていた。

 動かぬ表情。それ自体に不自然なものを感じるのは当然だ。ただ彼女
が作為的に笑顔を作っているのかはわからない。しかし、もしそうなの
だとしたら。

 彼女はいったいなんの為に仮面を被っているというのだろう……。




 ※※※




 入学式から幾日も経たずして早くも妹を連れてきた令は、宝物を見せ
びらかす少年のように目が輝いていた。
 令の影に隠れるように俯き加減でこちらを望む少女の襟首には、既に
ロザリオのチェーンが見え隠れしている。
 江利子は、そのロザリオが自分の送ったものとデザインが違っている
ことに気が付いた。
 令はまだ自分が送ったロザリオを持っているのだろう。その事に江利
子は、妙な安心を感じた。

 令は一人で盛り上がっている。妙にハイテンションのまま少女の名前
を「島津由乃」と告げた。

 江利子は、その名前を何度も聞いてはいたが、会うのはこれが初めて
である。おさげが綺麗にまとまっていて、可愛らしい。なるほど。令に
対してこの娘かと、妙に納得した。
 それは、単純に少年のような令に対して可憐な少女という対比ではな
い。二人のことを何も知らない人間にはそう見えるだろうが、江利子は
二人の関係を早くも見破っていた。
 当然、彼女が心臓病なのだという事前知識もあるし、令から逐一話を
聞いていたから理解できるということもあるが、きっとこの二人の力関
係は逆転しているに違いない。

 見た目は少年のようでも誰よりも少女である令は、底抜けに優しくも
ある。病弱である由乃をずっと見守ってきたのだろう。壊れ物を扱うよ
うに。しかし、この少女は周囲が考えているよりも弱くはない。きっと
優しすぎて過保護な令に対して反発すらしているのではないか。
 今だって由乃は、緊張したような素振りを見せてはいるものの、その
実「私の令ちゃんの姉ですって?」という子猫のような防衛本能を発射
している。両目から放たれるビームは確かに、それを伝えていた。

 江利子は、しばらくは退屈しないですむと思った。

 実際のところ、令から既に決めた人物がいると聞かされた時、ガッカ
リしたのは事実だ。
 江利子が考えていたのは、奥手な令が妹を作れず思い悩むという場面
であり、それにまつわるドラマこそ自分を楽しませてくれるに違いない
というものだったからだ。
 しかしドラマも何もなく、全ての過程を飛ばしてのロザリオの授受で
ある。まるで出来損ないの二時間ドラマを見せられているかのような展
開ではあったが、これはそれよりも十分に興味深い物語だ。二人が事実
上、本当の姉妹同然だという部分もスパイスになっている。

 「くっ」

 含み笑いを堪えきれずに漏れ出した笑いが、現在の江利子の全てを物
語っていた。




 ※※※



 蓉子は机の上に積まれた書類に愕然としていた。

 高く、それでいて絶妙なバランスで塔を形成している紙達。これでは
自然破壊の環境改善など夢物語のように思えてくる。
 先日の入学式から、山百合会主催の新入生歓迎会までの後処理だけで
これである。これでは貸し出し品のチェックだけで日が暮れてしまうだ
ろう。
 本来であればこういう時こそ人海戦術といきたいのだが、隣にいるの
は祥子一人だけである。

 聖は仕方が無いにしても……。いや、江利子にだってそんなに期待は
していないけれど……。

 それにしても、令すらもいない状況に蓉子は血の気が引いていくのを
感じていた。
 考えてみると、三人いながら実質「二人」で作業をしていた去年の薔
薇さまは凄かったのだとよくわかる。
 大体にして、若干一名は殆ど仕事をしていなかった。先々代の紅薔薇
さまが、それを全く問題にしていなかったのは、きっと最初から頭数と
して考えていなかったからだろう。

 全くとんでもない人選である。

 しかし、今年は実際の実行力を考えればそうは言っていられない。聖
も江利子もポテンシャルは高いはずなのに。
 なんとかしなければいけない。結局は自分が「悪者」になって二人に
鞭打たなくてはならないのだろう。ただ、聖も江利子も到底言うことを
聞くとは思えない。

 「はあ……」

 思わぬ嘆息に、祥子がやんわりと反応すると「さあ、始めましょう。
前進あるのみです」と元気よく声を出してみせた。なんと可愛い妹だろ
うか。

 「ええ、そうね」

 だが、応えた蓉子の声は、いつもの麗しの紅薔薇さまというものから
は程遠かった。

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