5-13-48

  聖に気になっている一年生がいる。
 聞いた蓉子の行動は、迅速であった。その日のうちに、藤堂志摩子に関するデータを集
めていたのだ。プロフィールを几帳面に紙に書きながらも蓉子は自答する。

 こんなことをやって何になるのだろうか? と。

 聖の妹。本人の意思次第であり、自分達が口を出す問題ではないと江利子に言っておき
ながらの行動なのだ。

 我ながらどうかしていると思う。

 このことを知れば、聖は軽蔑するのだろうか? 今以上に、自分を軽蔑するだろうか?

 恐れという言葉を自分勝手に受け止めながら、蓉子は紙上に躍るプロフィールを目で何
度も追った。

 藤堂志摩子。

 その名を胸に刻み込みながら。


 ※※※


 聖は志摩子と一緒にいることが多くなっていた。
 別に待ち合わせの約束をして、二人で一緒にいようと決めているわけではない。聖が一
方的に志摩子の前に現れていたのだ。

 ただし、そこに意図があるかと問われれば返答に困っただろう。

 大抵、委員会の仕事で作業中の彼女を横から見ているだけだったからだ。聖がじっと眺
めているという表現があてはまるかもしれない。
 当然会話も殆どなかった。あったとしてもたわいもないもので、コミュニケーションが
成立しているとは思えなかった。
 一方の志摩子にしても、聖の意味のないように見える出現にそれほど反応を示してはい
なかった。逆に聖を拒否することさえなかったのだ。お互い、相手に何を望むでもなくた
だ存在を意識しているかのようにも見えた。そんな奇妙な関係が数週間続いたのだった。

 その日、志摩子は花壇に水をやっていた。当然聖もその姿を側で眺めている。

 聖は、彼女がホースの先を潰すことに懸命になっているように見えた。何か執拗なもの
を感じたのだ。
 見ると、力のこもった親指と人差し指は白さを超えて赤くなっている。それに応えるよ
うにホースからは切り裂くように水が噴出していた。

 花に強いメッセージを送っているようにすら思えた。必死に問いかけ、呼びかけ、気付
いてほしいと願う子供のように。

 見かねた聖は、珍しく能動的な意図を持って彼女に問いかけた。

 「あまり強く水をかけると、花が痛むんじゃないの?」

 止めるようにと、力を込めさえした言葉だった。

 それには答えることなく、ようやく指の力を緩めるとポツリと志摩子がつぶやいた。

 「枯れた花に水をやると、どうなるんでしょうね?」

 小さく透き通った声だった。

 「さあね」

 目線を花へ移動させる。みずみずしい色彩を放つパンジーからは「枯れた花」というイ
メージは沸いてこない。

 「どうにもならないんじゃないかな。枯れた花は元には戻らないと思うよ」

 「そうですか?」

 「うん」

 「では、枯れた花はもう意味のないものなのでしょうか?」

 「さてね。枯れたという言葉の響きは悲しいものだけれど、花は花だと思うよ」

 「確かにそうですね。ドライフラワーというものもありますし。けれど…」

 そこで一旦言葉を止めると、志摩子は水道の蛇口をひねった。
 生き物のようにピンと張っていたホースが、急に力を失ったように地面に転がる。

 「それは花と呼べるものでしょうか?」

 丁寧にホースを巻き取りながら、志摩子は聖を見つめた。

 「どうだろうね。花と枯れた花、両方とも同じものだとは思うけれど。たしかに枯れた
花は色も形も違うけれど、でも死んだとは表現したくないかな。そこにある限り、花には
違いないよ」

 「そうですか…」

 妙に納得したように頷く志摩子。どことなく安心したような表情に見える。

 枯れたという言葉に意味を持たせたかったのだろう。聖は志摩子の表情からなんとな
く、そういった意図を読み取った。

 確かに単語そのものの意味で言うと、ネガティブなイメージしか沸いてこない。けれ
ど、彼女はそれを否定しようとさえしているのかもしれない。あるいは、そう思い込もう
としているのだろう。

 「きっと…」

 聖は、なんとなく思ったことを口に出した。

 「枯れた花に水をやるのは無意味だと思う。変化してしまったものは変えられない。元
どおり同じ形には戻せないから。でも、花が枯れるのは無意味じゃない。変わったからと
いって否定するのは悲しすぎるよね」

 「聖さまは強いんですね」

 志摩子は微笑むと、背を向けて玄関へと去っていった。

 視界から消えるまで見送ると、花へと視線を移した。そこには何も答えることなく、た
だ花が咲いているだけである。

 志摩子が聖を「白薔薇さま」ではなく「聖さま」と呼んだことに気が付いたのは家に
帰ってからだった。


 ※※※


 「ここよ江利子」

 「お姉さま…」

 待ち合わせの喫茶店に入ると、幸姫は既に来ていた。
 他に誰もいないのだが、それでも立ち上がって声をかけてくる幸姫に自然と笑みで応え
る。

 会うのは卒業式以来になる。けれど離れていたとは考えなかった。
 前薔薇さまの中で唯一リリアンの大学に進んだという安心感もあっただろうが、それ以
上に姉妹の関係が深い繋がりを持たせていたのだろうと江利子は思う。

 幸姫は幾分光沢のある黒いパンツに真っ白いブラウスというフォーマルな服装だった。
 それに加えて、嫌味のない化粧がスタイリッシュな雰囲気を際立たせている。

 元々美人ではあったが、ここまでくるとモデルか何かに見える。江利子は、急にわけわ
からず誇り高い気分にまでなった。
 江利子がカフェオレを注文している間に、幸姫は読んでいた文庫本をバックへ入れた。
いったいどれくらい前から来ていたのだろうか。

 江利子の視線に幸姫は微笑む。

 「大丈夫よ、あなた時間ピッタリに来たから」

 「はあ」

 「時間前に来ていたのは、私の都合よ。ここへは良く来るの」

 呼び出したのは江利子からであったが、場所を指定したのは幸姫だったのだ。

 「落ち着きますね、ここ」

 「でしょう」

 幸姫は嬉しそうに見回す。
 店内は、アンティーク調の装飾でまとめられているが、全てが渋い色で統一されていて
嫌味がまったくない。
 シックなイメージを好むお姉さまに合っているなと江利子は思った。

 「お客が少ないのは、お店としてはダメージかもしれないけれど、ここが賑やかになる
と困るわね」

 言いながら紅茶を口に含んだ。とっくに冷たくなっているはずだが、気にした様子はな
い。

 「で、どうしたのよ?」

 何気ない口調で尋ねる幸姫に優しさを感じる。

 「そうですね…。少しお話をしたくて」

 「蓉子ちゃんのこと?」

 先程とまったく変わらないトーン。

 「ええ」

 江利子も全く動揺した様子もなく答える。お互いわかっていたのだろう。
 連絡をとった時、江利子は会いたいと言っただけだった。幸姫も何も聞くことなく待ち
合わせ場所を指定しただけだった。それでも、幸姫は蓉子の話になるだろうと理解してい
たのだ。

 「何か変化があったの?」

 背もたれに身体をあずけることなく、幸姫は真っ直ぐ背筋を伸ばし江利子を見つめてい
る。

 「聖が、特定の一年生と一緒にいるようになって…」

 「そう」

 「蓉子が…。それを…」

 「うん」

 言いよどんでしまった江利子だが、幸姫に先を促す様子はない。

 「なんて言ったらいいのか…」

 きっと江利子は自分でも上手く整理できていないのだ。

 「質問を変えるわね、その一年生と聖ちゃんは、どういう感じで一緒にいるの?」

 「聖は大丈夫だと思います」

 江利子は断言した。

 「聖は、あの失敗を繰り返さないと思います。栞さんが伝えたかったメッセージが伝
わっているように思えますから。直接的なものではなく…。聖の血になっている。そんな
気がします」

 「そう」

 「でも…」

 「蓉子ちゃんは、以前のままなのね?」

 「……」

 「心配なのね。そして、あなたも以前のような失敗を繰り返したくない、と」

 江利子は黙って頷いた。

 「あなたの思うようにすればいいわ。どう転がろうとしても、それを止めることは出来
ない・・・。間近で見てきたでしょ?」

 確かにそのとおりだった。
 江利子は、何も言い返せずにカフェオレに口をつけた。少しの時間しか経過していない
はずなのに、それは随分とぬるくなっていた。

 止めることはできない。

 それでも。

 それでも蓉子が落ちていくというのであれば、手を差し伸べるしかないのだと江利子は
考えるのだった。

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