5-13-49

 放課後、薔薇の館。
 既にメンバーの大半は帰宅していて、残っているのは紅の色を冠した二人だけだった。

 「祥子、ここにおいでなさい」

 蓉子は自分の席を指差して、祥子を座らせた。

 ピンと背筋を伸ばし、前を向く祥子。美人は後姿だけでも絵になるものだと蓉子は思っ
た。

 「髪を梳いてあげるわ」

 言いながら蓉子はポケットブラシを取り出すと、祥子の髪の毛に触れた。
 これはよくある光景で、蓉子は何かと祥子の髪の毛を梳いていたのだ。

 優しく一束。一束。
 壊れ物を扱うように。空中に浮かぶ羽を掴むように繊細な手つきで。
 ゆっくりとブラシが下ろされていく。ブラシの動きは滑らかそのもので、微塵の抵抗も
感じられない。
 ストレートとは、こういう髪質を言うのだろうと蓉子は思った。
 そういえば、雪南の髪質もこれと同じだった・・・。もっぱら彼女の髪の毛を梳いてい
たのは永だったが。

 考えてみると、雪南と祥子は容姿が似ているかもしれない。いままで意識したことはな
かったが、同じ系統と言えるだろう。
 自分が無意識のうちに、姉と似ている人間を探していたのかもしれない。

 「・・・・・・」

 考えるだに恐ろしい事柄ではある。

 時間が止まったような感覚、物音一つしない部屋の中で、するり、するりと、髪がなび
いていく。


 ※※※


 祥子は、姉である蓉子に髪を触られるのが嫌いではなかった。
 別に髪の毛が乱れているとも思ってはいない。どちらかというと、自分の髪質はあまり
はねたりするほうでもない。
 ただ、こうやってコミュニケーションするのは嫌いではなかった。

 けれど、この行為は同時に祥子をやるせない気持ちにもさせた。
 こうやって髪を梳いてもらっている時に、時折、姉が無いものを掴もうとしているので
はないかと心配になるからだ。

 優しい手が痛い。

 なぜなら、以前の聖も髪が長かったのだから。
 それを思うことはいけないことなのだろうか? 蓉子の目を見ることも出来ずに、祥子
は身を任せていた。

 こうやって一年近く一緒にいるが、蓉子との関係は当初に比べて劇的に変わってしまっ
たと思う。

 最初は、あまりにも完璧すぎる姉に驚嘆したものだった。

 立ち振る舞い。
 言葉。
 思考。
 それら全て。

 同年代の人間だとは思えないほどに遠くに感じ、またそんな姉を誇りとした。
 そして、自分を顧みて、あと一年で自分がここまで成長できるものかと絶望的な気持に
すらなった。

 それなのに、今優しく髪を梳いてくれる人は、はたして同じ人間なのだろうか?

 このように思考することすら間違っているのかもしれない。そもそも、自分は姉のこと
をどこまで知っていたというのか。

 あの時。聖と栞のことがあってから。
 きっと、何かが壊れてしまったのだろう。

 自分の姉が傷つき壊れてしまった・・・。
 そう考えるのは、いけないことだろうか?


 するり。するりと、沈黙の中、髪はなびいていた。


 ※※※


 「ところで」

 手を止めて、蓉子は話しかけた。沈黙を破るには、あまりにも静かで自然な声。

 「なんでしょうか?」

 祥子は前を見たまま答える。

 「祥子、あなたね妹を持つ気はあるのかしら?」

 「は・・・」

 ピンと伸ばした背筋が動いた気がした。

 「もう数ヶ月経つというのに、あなたの周囲では噂すら聞こえてこないから、少し心配
になってね」

 祥子の妹候補ということで、噂も何も立たないのは、彼女が稀に見るキャラクターだか
らである。そんなことは百も承知だった。

 人を惹きつけるには十分な容姿も、この場合は遠慮の対象になってしまうだろう。
 不器用な性格も、人を遠ざける原因の一旦になりえるかもしれない。
 そして、家庭の環境。優秀な成績。次期紅薔薇としての位置。それら全て。

 気後れして当然である。

 しかし、その理由も飲み込んで、蓉子はあえて語りかけていた。
 妹を作る気があるのか? と。

 「はい、当然考えてはいます、けれど・・・」

 「どういう子がいい、とかあるの? ひょっとして紅薔薇に相応しい人材、なんて考え
ていたりする?」

 「そうですね、立場の前に気が合うかどうか、相性が良ければかまわないと思ってはい
ますけれど」

 「そうね、将来の紅薔薇。なんて考える必要はないわね」

 「そう思います」

 「積極的に誰かに話しかけてみればいいんじゃないの?」

 「ええ。そうしたいところなのですが・・・」

 「なかなか、実行できない?」

 「はい」

 蓉子は、それすらも知っていた。元々、面識の無い他人と接することを苦手とする祥子
が、見ず知らずの下級生に声をかけたりしないのは当然だからである。

 「お姉さまの時は、どういう出会いだったのでしょうか?」

 振り返りながら祥子は、ようやく蓉子の目を見た。
 答えるように蓉子は隣の椅子に座った。

 「私の時はね・・・」

 思い出そうとして言いよどむ。
 正直言って、楽しいイベントではなかったからだ。
 祥子は、真剣な面持ちで次の言葉を待っている。

 「お姉さまが声をかけてきたのだけれど」

 雪南の悪魔のような笑顔が蘇る。
 そう、あの時彼女は自分の思い通りになる新たな犠牲者を探していたのだった。
 永が第二の犠牲者を作ろうとしている雪南を見て、関係を改めようとしたことも記憶に
残っている。

 「随分急な話でね。薔薇の館へ手伝いに来なさいと、声をかけられたのよ」

 「何の前触れもなくですか?」

 「そうね」

 何かキッカケがあったのかもしれないが、少なくとも蓉子には心当たりがなかった。

 「私は、向こうの存在は知っていたわね、目立つ人だったから、でも何故声をかけられ
たのかはわからなかったわね」

 「そうなんですか?」

 「新入生代表で挨拶をしたり、外から入ってきた受験組みだったから、ある意味で目に
付いたのかもしれないけれど」

 「なるほど、その可能性は否定できないですね」

 「あまり参考にならなくて、ごめんね」

 「いいえ、とんでもありません」

 「ただ、最初は手伝いにということで、声をかけるのもいいかもしれなわね」

 「確かに・・・。でも」

 祥子は一度ロザリオに手をやってから続けた。

 「期待させすぎてしまうことになるかもしれません。何かあってから、やっぱり来なく
ていいというのでは、お互いに不幸なのでは?」 

 「そうかもしれないわね。まあ、その前に声をかける相手を探すところから始めないと
ね」

 「ええ、そうなのですが・・・。それも難しいことです」

 「そう?」

 「はい」 

 神妙な顔で答える祥子。

 ここで蓉子はふと考える。
 もし今の自分の考えを祥子が知ったとしたら。
 真剣な眼差しの裏で、どれだけ卑劣な考えを持っているのだと知ったら。

 それでも、祥子は自分を姉と呼んでくれるのだろうか?

 しかし、そこまで考えながらも蓉子は後には引き返せなかった。それどころか自分を止
める理由にさえならなかった。
 可愛い妹を道具のように利用しようとしているというのに。

 けれど、きっと・・・。
 それが自分という人間なのだ。

 そして、蓉子は言葉を発した。

 「そうね、誰も候補がいないのであれば、何人か私に案があるのだけれど?」

 それを言ってしまってからも、何の呵責も感じない。
 あまりにも自然なふるまいに自分で恐怖すら感じる。

 「候補ですか?」

 「ええ、何かの参考になるかもしれないしね」

 「なるほど・・・」

 祥子は参考程度という言葉に全く疑問を抱いていないようだった。

 「まず、相性は置いておいて、実用的な面だけで考えて見る場合はどう?」

 「山百合会の仕事の面ですか?」

 「ええ、結局は雑用になるのだから、なによりも真面目さや粘り強さが必要かもしれな
いわね」

 「確かにそうかもしれません」

 「そうよ、どんな面倒なことでも避けてはいけないから、それが信任を受けた責任でも
あるわ」

 まるで誘導しているように蓉子は話を続ける。相手が、頭の回転の速い祥子だからこそ
だろう、筋書き通りに話は進んでいく。

 「これは、一つの例でしかすぎないけれど、委員会の仕事を真面目にやっている子なん
てどうかしら?」

 「委員会ですか・・・」

 「環境整備委員や、保険委員は少なくとも、自ら手をあげてなりたがるようなものでは
ないわよね」

 「人気のある役職ではありませんね」

 「そう、環境委員は大変よ。言ってみれば専門の掃除当番みたいなものだしね」

 「はい」

 「先日花壇の前を通ったら、一人で泥に塗れて作業をしている子がいたわ」

 「一人で?」

 「状況はわからないけれど、一人で黙々と作業をする粘り強さというのは、山百合会の
仕事をする上でも必要ではないかしら?」

 「ええ、そう思います」

 ここまで具体的なビジョンを提示してしまうと、祥子が疑問を持つだろう。
 しかし、姉が自分に不利益になる情報を、わざわざ話すとは思わないであろうし、また
参考程度ということであれば、興味は抱くかもしれない。

 計画は練ったが、それが転がっていくかどうかは正直わからなかった。この話は蓉子に
とって一種の賭けでもあるのだ。

 しかし、ここにきて、祥子は待ち望んでいた言葉を発した。

 「ひょっとしてお姉さまは、既に心当たりがあるのですか?」

 ご名答だと蓉子は心の中で頷く。
 恐らく、祥子の反応は、わざわざ誘導に乗っかった上での言葉なのだろう。


 「環境整備委員会の子よ、名前は藤堂志摩子。彼女を妹にしてみる気はないかしら?」


 事がここに至ろうとも蓉子の表情には微塵の変化もなく、美しい笑みを浮かべたまま
だった。

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